三姉妹シグルファーザーのサバイバル思考法 #childadvent

In the Park - Summer

子どもたちと公園まで歩く。20分ほど歩くと池を囲んだ広い公園にたどり着く。三姉妹を遊具で遊ばせつつ、公園内のスタバに入る。ホットコーヒーを受け取ると店の外にある席に座り、目の前の大きな池を眺める。あいにくの曇り空だが、雨が降るからだろうか、それほど寒くない。テーブルにMacBookを広げ、Advent Calendarに投稿する記事を書き始める。

三姉妹のシングルファーザー。詩人だと言い張っているが、活動としては主にプログラムを書いている。子どもたちは現在、4年生、2年生、1年生。やんちゃで元気いっぱいだとよく言われる。4年生の女の子ともなるともう少しませた感じになるのかと思っていたのだけど、まだまだガキんちょだ。常に「うんこ!うんこ!」と連呼している。シングルファーザー歴、2年。今年から一番下の子も小学校に入ったのでずいぶんと楽になったなあと感じている。

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人に会うたびに「大変ですね」と声をかけられる。それに対して「そうでもないですよ」と返す。強がりでもなんでもなく、本当にそう思っている。三姉妹のシングルファーザーの目標は、生き残ること。最低限のこの目標を達成することだけを考えていれば、それほど大変なことはない。ほんの少し思考を変えてやることで、生きることが格段に楽になる。今日はそんな考え方を伝えられたらいいなと思う。

将来は予測できない

子育てには、いやそれだけではなく人生においても、とある大前提が存在すると考えている。それは「将来は予測できない」ということ。子どもに関しては「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今存在していない職業につくだろう」と言われている。つまり親の世代の常識は、子どもたちの世代では常識ではないのだ。だから子どもたちに対して考えなしに常識を押し付けるべきではないと思う。

子どもたちは生まれながらにクリエイティブだ。僕らがすべきことは、子どもたちをクリエイティブにするることじゃない。子どもたちのクリエイティビティを阻害する要因を取り除くということだ。常識や思い込みで子どもたちをがんじがらめにしてしまうのはもったいない。そして、子どもたちを常識や思い込みの枠にはめようと四苦八苦しないとうことは、それだけストレスフリーな子育てができるということにもつながる。

この、将来は予測できないということと、子どもたちは生まれながらにクリエイティブであるということ。こういった前提をもとにシングルファーザーの思考法は成り立っている。

強さよりもしなやかさ

ひとり親に限らず、働く親は、時間やお金や精神力といったあらゆるリソースが常に枯渇している状態にあると言える。当然、ストレスも溜まる。そこで強くなろう、強くなれば乗り越えられるのではないかと考えがちなのだけれど、僕はそうではないと考えている。強ければ折れる。生き残ることが目標なので、折れてしまっては目標を達成できない。ひとり親に関して言えば、自分が折れてしまうと、子どもたちの世話をする人がいなくなってしまう。折れないことが重要なのだ。折れないメンタルのコツは、強くなろうとするのではなく、しなやかであろうとすること。強ければ折れる、しなやかであれば曲がるけれど折れない。何ごとも柔らかく考えるといいと思う。

それは本当にダメなのか

基本的に子どもたちがすることにはダメだと言わないようにしている。ついついダメだと言いそうになるときに少し考えてみると、意外と本当にダメであることは少ない。いたずらをしているところを目撃しても何も言わないでいると、「パパ何で怒らないの!?」と逆に驚かれることもある。ダメだと言わないことは子どもたちのクリエイティビティを阻害しないということにもつながるのだけど、まあいいかと流すということで親にストレスが溜まらないとう効果もある。いったんダメだと口にすると、それに従わないことに対してもイライラしてしまう。口に出す前に、ダメだというのは自分に刷り込まれた世間の常識なんじゃないかと疑ってみるといいと思う。子どもたちには自分で自分にブレーキをかけないように育って欲しい。

In the Park - Winter

手を抜くということ

戦略的に手を抜くということをやる。やらなくていいことは、やらない。それは完璧な家事を目指さないということだったりする。僕らの母親の世代というのはクオリティの高い主婦の世代だ。そのイメージで家事をやろうとしても、とてもできるものではない。最低限やることを決めて、それ以外は手を抜く。僕は毎日子どもたちに温かい手料理を食べさせるという以外は、多少のことは気にしないようにしている。

普段子どもと接することのない若い人は、子どもたちと全力で遊んでくれる。そしてすぐにヘトヘトになってしまう。たまにやるのならいいのだけど、これが毎日となるとなかなかしんどい。だから、まずは固め技や極め技をマスターすべきだろう。子どもの頭と肩腕を足で挟んで三角絞めをかける。本来であれば頭を押さえ込んで頸動脈を締めるのだけど、それが目的ではないので足だけで技をかける。そうすると、子どもが喜ぶ一方で、親は両手が自由になる。我が家は三姉妹なので、さらに両手にひとりずつフロントチョークをかける。本来であれば足でフックして首を締め上げるのだけど、それが目的ではないので腕だけで技をかける。そうすると、寝転がったまま楽に3人の子どもたちの身動き封じつつ、喜ばせることができる。これは具体的すぎる例なのだけど、何ごとにおいても同じように力の掛け方を工夫すると子育ての負荷を減らすことができるんじゃないだろうか。

受け入れる

子どもはコントロール対象でないということも重要だという気がする。子どもといえども他人なので、他人をコントロールするというのは難しい。コントロールできるのは自分自身だけだ。だから、受け入れるということが重要になってくる。

ドラマなんかだとシングルファーザーの娘というのは、すごくしっかり者として描かれることが多い。けれどもそれは幻想だ。「千と万」という父子家庭を題材にした、けれども気軽に読めるコミックがある。この娘の適度なわがまま具合がすごくリアリティがある気がする。小学校からのお知らせを読むと、子どもはみんな良い子だという前提で書かれているけれど、実際には意地の悪いことをしたりもする。これは子どもの頃を思い出してみると、自分もそうだったなあと感じる。つまりは良い子に育てようとする必要はまったくないということなのだけど。

子育ては結果論だと考えている。一流アスリートだって、厳しい家庭で育った選手もいればそうでない選手もいるだろう。どの子にも当てはまる育て方はなくて、どう育てるか悩みすぎて親にストレスが溜まっては逆効果だと思う。世の中の子育て論はすべて結果論なのだから気にしすぎるべきではないし、将来は予測できないから現時点で何が正解かはわからない。正解はないと知ることで、楽になることができる。

取り組み

ここでメンタル面以外についても書いてみようと思うのだけど、それほど工夫していることはない。とにかく温かい食事を食べさせたいので、料理の手際に注意しているくらいだろうか。和の鉄人、道場六三郎が「料理で一番大切なのは手際だ」と言っていたのを思い出す。料理をしつつ風呂をためたり部屋を片付けたりといったタスクを織り込んでいく。

子どもが多いと、家の中が散らかる。これをどうにかしたいと考えていた。また、子どものお小遣いについても考えていた。お小遣いという制度が腑に落ちなくて、何の価値も提供していないのに報酬をもらえるシステムというのもおかしい。そこで、部屋を片付けるとシールがもらえて、10個そろうと100円もらえるというシステムを導入した。もともと物を持たない家なので、これでわりときれいな状態を保つことができている。

子育てや介護で一番問題になるのが時間不足だと思う。時間をいかに捻出するかについては、このAdvent Calendarで他の人が書いているので、ここでは書かない。ただ、闇雲に時間を確保しようとする必要はないということだけ書いておく。エンジニアやデザイナーであれば成長しなければという強迫観念があると思うのだけど、いまでは成長は必要ないんじゃないかという気がしている。人は生きているだけでしんどいのだから、生きていれば勝手に成長している。それ以上の成長は欲求であって、ゲームをしたいとかフットサルをしたちというのと変わらない。だから必要以上に成長しなければならないというプレッシャーは捨ててしまって構わない。必要になれば自然と成長すると信じて。

f:id:hibi_myzk:20151221162112j:plain Phot by 竹内貴誉詞

起業したわけ

10月に会社を辞めてフリーランスになった。ひとり親でベンチャー企業というのはなかなか難しいところがあるのだけど、いろいろと便宜を図ってもらってすごく感謝している。地方で子育て支援に力を入れている会社なので、興味のある人のためにリンクを貼っておく。

恵まれた環境にいて、なぜ辞めたかという話になる。ひとり親だと共働きというのができないので、ひとりで2人分を稼ぐ必要がある。それから仕事と家事をどちらも100%やらかければならないので、使える時間は半分になる。つまり、半分の時間で2倍稼ぐ必要がある。そうなると会社員では無理だろうということで会社を立ち上げることに決めた。いまは個人事業なのだけど、来年には法人化する。なぜ個人ではなくて会社にするのか。

現代の会社のシステムというのは、高度経済成長期に昭和のハイクオリティな専業主婦によって支えられてきたものだ。それがいまでも、そのままのノリで存続している。それを積極的に女性を働きに出そうとする政策には無理がある。行政ではなく、それぞれの企業が変わらなければならないと思う。そもそも8時間働くという、8時間の根拠がわからない。短時間で価値を提供してそれに応じた対価を得る。家庭環境に応じた柔軟な働き方ができる。規模は小さいけれどもその事例を作れたらいいなと考えて会社という形態にすることにした。

さいごに

まとめると、ストレスを溜めるくらいなら頑張らなくていいよということになるのだろうか。頑張ることを否定はしない。けれども折れてしまっては生き残るという目標を達成できない。折れないように、しなやかに生きていけたらと思う。刷り込まれた常識や、勝手な思い込み、「しなければならない」「でなければならない」という思考は捨てるのは難しいかもしれないけれど、一瞬立ち止まって疑ってみることはできるはずだ。

小学校の懇談会で担任の先生に言われた言葉「海に行くよりも、キャンプに行くよりも、お父さんやお母さんがしあわせそうにしていると子どもたちもしあわせなんです」という言葉を拠り所に生きている。ストレスをためずに、子どもたちの前でハッピーでいること。それも親の役割のひとつなのかなという気がする。

子育てはタイヘンなしあわせです。

文字数制限がないとは言え、ブログの記事に長文は書きづらい。それでも、ずいぶんと書き散らかした記事になってしまった。伝えたいことがうまく伝えられていないもどかしさを感じる。実は今年の夏にKindle Storeで電子書籍を出版している。ここに書いたようなことを、もう少し整理して書いている。子育て中でない人でも、自由に生きるヒントを散りばめている。プライム会員なら無料で読むことができる。読んだ人の気分が少しでも楽になればいいなと思う。

スタバから遊具エリアに移動する。ベンチに腰掛け、元気に走りまわっている子どもたちをしばらく眺める。何もしてあげられていなといつも思っているのだけど、なんだかんだ子どもたちはいつも楽しそうだ。もっと気楽にやってもいいかもしれない。僕は子どもたちの前でしあわせそうにしているだろうか。三女が「喉が渇いた」と駆け寄ってくる。バッグからペットボトルを取り出す。そうだ。今日の夕飯は何にしようか。